新発田には4つの酒蔵があり、それぞれが絶品な銘酒を作っています。そんな銘酒が作られる背景には新発田の自然環境があります。山から流れる雪解け水は、新発田の豊かな大地をつくりあげ、良質な米を育てる穀倉地帯へと誘うものとなっています。水が良く、美味しい米が育つために数多くの銘酒が生まれるのです。新発田にお越しの際は、そんな自然環境が生んだ絶品の日本酒をぜひお試しください。
和菓子の発達は、茶道と深い関係があります。歴代藩主が茶道に力を入れた新発田藩では、和菓子にも力を入れ、京都方面から新しい技術を取り入れながら、質の良い物が作られるようになったといわれています。明治時代になると、この伝統は民間にも広がっていきます。近郷の地主や大きな商家の人々が、冠婚葬祭に欠かせないものとして取り入れたことで、和菓子は新しい発展をしていくようになります。また、新発田とその近郊は、江戸時代から越後の穀倉地帯として豊かな農産物に恵まれた所でした。藩の奨励もあり、質の良い米や豆類など、菓子作りに必要な材料については、他の地方にひけを取りませんでした。このような社会条件、自然条件が整い、新発田の和菓子の伝統は作り上げられてきたのです。
麻の実、生姜などとともに甘く炒ったおからを、酢でしめた小鯛、コハダ、アジ、キスなどの小魚で包んだ寿司で、城下町新発田の代表的な郷土料理です。 「から寿し」は、江戸時代中期、町のある魚屋さんがおから煎りと小魚の酢の物を肴に晩酌をしていたところから、この二品を一緒にしたらということから考え付いた保存のできる酒の肴です。 非常に低カロリーで健康食としても注目されています。
米どころである新潟県ではかつては、田んぼの「あぜ」を利用して大豆を栽培するのが一般的で、糀や味噌のを作るための材料が豊富にそろっていました。さらに、新発田の自然環境が糀や味噌の製造に適していたこともあり、過去には多くの味噌や麹やがあったと伝えられています。新発田市内でも、当時の味噌屋では糀を作って農家へ出すのが仕事で、農家の人々は収穫した米を納めて糀と交換し、大豆とあわせ、集落内でまとまって味噌作りの作業を行っていました。現在でも、新発田市では糀や味噌の旨みを活かした郷土料理として、「飯ずし」や「やろまま(やろうもち)」などが伝えられています。
京都へ修行にいったご主人が、藍染め・ローケツ染め・藍抜染をベースに商品開発を進め、新発田の特産品となるまでに昇華いたしました。藍染めは重労働で侵染時間をはさみながら8回浸染させます。おおよそ一つ染め上げるのに4時間から5時間ほどかかります。そんな手間暇かけて作られた藍染小物たちはご主人の熱心な情報発信によって、全国の様々な場所でも知られるようになりました。新発田にお越しの際は、ぜひお店にお寄りいただき「新発田の職人技」にふれてみてはいかがでしょうか。