市島邸
市島家は丹波に発する家系であり、慶長3年(1598年)、溝口候の新発田移封に伴い、移封に伴い、加賀大聖寺より随従して以来、次第に栄華を極めた。宗家は居を五十公野(現新発田市)、水原と移すが、水原時代は福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発に努め、ついには北越有数の1,000町歩余りを有する大地主、豪農となった。
その後、戊辰の役に水原の邸宅は兵火により焼失したため、十世七代徳次郎(静月)は、現在の地に新たな市島家本邸を造営した。
建物は、明治初期の代表的住宅建築として簡素優雅の作風を示し、これを囲む回遊式の庭園は、自然の風致に富み、広い池を取り巻く樹木はそれぞれの四季を映している。
昭和37年(1962年)3月、市島邸の十二棟一構が新潟県文化財に指定された。
蕗谷虹児記念館
金襴緞子の帯しめながら・・・童謡『花嫁人形』の詩は虹児25歳の絶唱です。少年時代から画家を志し、樺太放浪のあと、竹久夢二の推薦で「少女画報」にカット絵を描いてデビュー、23歳で人気挿絵画家となり、時代の寵児として詩画集9冊を出版。27歳でパリに渡り、春・秋のサロンに3年連続入選をはたし、一流画廊での個展を成功させます。そして昭和4年に帰国、モダンな画風で一世を風靡しました。童画や絵本の分野でも活躍し、晩年には新作個展を5回開催、『花嫁』は70歳の作品です。
新発田が生んだ天才画家蕗谷虹児の記念館は、純粋無垢な彼の詩魂につつまれ心をいやされる異次元の世界と評判です。
蔵春閣
「蔵春閣(ぞうしゅんかく)」は1912年(明治45年)、新発田出身の大実業家である大倉喜八郎翁によって、東京の隅田川沿いにあった向島別邸内に建てられた迎賓館で、政財界の大物や海外の賓客がもてなされていました。
2017年(平成29年)、(公財)大倉文化財団から新発田市へ寄贈が決定し、2020年(令和2年)から、東公園内での移築工事が進められ、2023年(令和5年)4月29日に施設を公開。
大倉喜八郎(おおくら きはちろう)氏は、1837年(天保8年)9月24日、現在の新潟県新発田市に生まれました。1854年(安政元年)17歳で江戸に出た喜八郎は、その才を遺憾なく発揮し、商人として成功をおさめます。1873年(明治6年)大倉組商会を設立し、ヨーロッパをはじめ世界各国との直貿易に進出。わが国における世界貿易の先駆けとなりました。また、上水道の建設や大倉製糸場新発田工場の操業など、郷土の発展にも貢献しています。
先の大戦で焼失した明治天皇の皇居「明治宮殿」の造営に当たったのが、大倉土木(現・大成建設)です。蔵春閣はその宮殿を摸したもので、当時の様式を残す大変貴重な建物です。
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新発田城
新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。
新発田城は一般に多くある山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城です。石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ、白と黒が美しい海鼠(なまこ)壁で仕上げられています。 春の桜の季節、真冬の雪をすっぽりかぶった様子、四季折々の風情があります。
城の表門前に、すっと立っているのが堀部安兵衛の像。赤穂義士の討ち入りで中心的な役割を果たした安兵衛。像の顔は、しっかりと江戸を見つめています。新発田城はかつて本丸、二の丸、三の丸からなり、堀や石垣に囲まれ、新発田川の水を巡らせた平城で、11棟の櫓と5棟の門が並び壮観な景観を呈していました。中でも、天守閣の代わりを果たしていたのが三階櫓です。3匹の鯱を配するという独特の櫓で、全国にも例がない大変珍しいものです。平成16年には、この三階櫓、辰巳櫓が復元されました。
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令和3年度7月より「御城印」と「日本100名城 城カード」の販売を開始しました。
月あかりの庭
回遊式の庭園に色とりどりの行灯(あんどん)が50本並ぶ姿は圧巻。
和柄の行灯はデザインが数種類あり、月岡温泉のキャラクター「ゆらり」ちゃんも描かれています。
日中でも散策できますが、点灯後の夜がオススメです。
東北民藝館
新発田から東蒲原にかけて広い農地と山林を持ち、造り酒屋としても繁盛した新発田藩大庄屋格の豪農、肥田野家の家具、調度品など一万点以上の骨とう民具を展示、収蔵しています。 収蔵品の中心は和箪笥類、六古窯の陶器、ひな飾りなど、その量は豪農50~60件分の数ともいわれ、ファンにはたまらない文化の場となっています。
大友稲荷
大友稲荷は、鎌倉時代の建長年間に大友東泉寺の守護神として創建された、仏式の稲荷社です。正式には大友御杉原稲荷大明神ですが、一般には大友稲荷の名で通っています。家内安全、商売繁盛、交通安全、五穀豊穣等々を祈願する人々が訪れています。
本殿は東泉寺の左隣にあり、本殿より南方500メートル程の所に、鳥居のならぶ奥の院があります。稲荷神社の一番の祭礼である初午祭は毎年三月の最初の午の日行われます。
しばた台輪
しばた台輪の起源は享保11年(1726年)に遡ることができます。時の新発田藩主6代溝口直治公が、諏訪神社祭礼にあたり「賑わい」として「飾り人形の屋台を出すように」とのおふれを出されたことが始まりといわれています。本体は長さ約五メートル、高さ約四メートル、幅約三メートルの御殿風二階造りで、樫や欅、桐などを主材料とした三輪の構造となっています。「見送り」(二階後部)「勾欄」(手摺)などには彫刻が施され、朱漆塗り、金箔仕上げと絢爛豪華に装飾されており、二階には飾り人形をしつらえています。現存する六台は各町内で保存されており「上町台輪」、「四ノ町台輪」、「両町台輪」、「下町台輪」、「三ノ町台輪」は格納庫の外からとなりますが通年観覧することができます。
大峰山 桜公園
国の天然記念物である大峰山の橡平桜樹林にほど近く、約5.2haの敷地に109種類300本の桜が植栽されている。遊歩道等も整備されており、桜の詳細がわかる図鑑の立札も立ててあるため、四季を通じて観桜することができる。
王紋酒造
1790(寛政2)年創業の老舗酒蔵。フラッグシップ「王紋」やワインのような味わいをもつ「かれん」など、幅広い種類の日本酒を揃えます。
また、2022年4月には体験型酒蔵リゾート五階菱が同敷地内にオープン。コンシェルジュによる利き酒や試飲体験のほか、プロジェクションマッピングが人気です。地元みやげも豊富に扱っています。
大峰山橡平サクラ樹林
大峰山国有林内に自生するサクラの樹林帯「橡平(とちだいら)サクラ樹林」は国指定の天然記念物です。山腹から山頂にかけてトチノキ、ブナ、ミズナラなどの樹林に混じり、オオヤマザクラ、オクチョウジザクラ、ヤマザクラなど、その変種も含めて40種以上の桜で山腹一体が雪模様の花景色となります。大峰山は、日本で最も小さいといわれている「櫛形(くしがた)山脈」の中に位置する標高399.5mの山。 展望台やチェリーヒュッテまでの遊歩道が整備されており、春先から秋口にかけてハイキングコースとしても人気が高い。
足軽長屋(国重要文化財)
清水園の真ん前にあり、今に残る新発田藩当時のままの姿の足軽が居住した八軒長屋は、歴史的にも貴重な存在です。木造茅葺きの質素な建物は、当時の足軽たちの暮らしぶりを感じさせてくれます。
清水園(国指定名勝)
清水園は、溝口家の下屋敷として造られ、清水谷御殿とも呼ばれていたそうです。広い庭園は、広さが15,200平方メートル、幕府の庭方の県宗智を招き造られ、近江八景をとり入れた純京都風で、中央に草書体の「水」の字をかたどった大泉池のある回遊式庭園です。池の水に、季節ごとの樹木の色がはえて、何ともいえぬ風情です。
新発田藩の歴代藩主は、茶道に力を入れました。現在も清水園や五十公野御茶屋などでお茶会が開催されています。
長徳寺
1585年に創建された浄土真宗(真宗大谷派)の寺院。忠臣蔵、赤穂四十七士の一人、堀部安兵衛の生家、中山家の菩提寺。境内には、「義士堂」・「堀部安兵衛手植えの松」(二代目)・「中山家の墓所」がある。四十七士によって「吉良邸討ち入り」が行われた12月14日には、毎年、境内で義士祭が執り行われている。
菅谷不動尊 菅谷寺
真言宗醍醐派、諸法山菅谷寺。通称菅谷不動尊
源頼朝の叔父君護念上人(源慈応)の創建。
本尊の不動明王は毘首羯磨(びしゅかつま)の作と云われ、最澄(天台宗開祖伝教大師)が唐から請来し、比叡山無動寺に祀られていた、三国伝来の不動明王。鎌倉時代に至り、比叡山で修行中の護念上人が、平家の圧力から比叡山を下りる際、日頃より帰依していた不動明王の「御頭」のみを笈に納め、諸国を巡錫したのち、文治元年(1185年)に仏縁有って菅谷に一宇を建立したのが寺の開山。
「東鑑」には建久6年(1195年)加治城主佐々木盛綱の報告により鎌倉にて上人は頼朝と対面し、その際祈祷により頼朝の大姫の病を本復させ、頼朝を大いに喜ばせた事が記載されている。
その後落雷により伽藍は消失したが、みたらせの滝にてタニシが身を挺して本尊をお守りし無事であったと伝えられる。
以来800年、霊場として全国より信仰を聚めている。
諏訪神社
新発田総鎮守であり、「おすわさま」の愛称で親しまれている諏訪神社の初詣は、毎年3万人の参拝者が訪れます。五穀豊穣・無病息災・学業成就・厄除け・縁結び・安産の御利益があるといわれています。
この神社の由緒は、大化4年(648)現在の聖籠町諏訪山に鎮座したのが始まりです。その後、宝暦6年(1756)に七代藩主溝口直温候が現在の地に社殿を建立しました。今の社殿は平成16年に再建されたものです。勇壮な台輪で知られる「新発田祭り」は諏訪神社の祭礼です。
神明宮
神明宮由来 神明宮宮司 畠山 邦安 :新発田七代藩主溝口直温は、治水と新田開発に力を入れた。そして領内の豊作と安全祈願から、伊勢神宮の外宮の神「豐受大神」のご分霊を、寛延元年(1748年)現在地にお祀りした。人々から「おしんめいさま」と呼び親しまれている神明宮は、例大祭が9月25日・26日の両日で、平成13年より「新発田豊年秋まつり」と名称を変え賑々しく行われている。
豊田神社
豊田神社由緒:豊田神社には、新発田藩太祖溝口秀勝侯を始め歴代藩主の御神霊をお祀りしております。八代藩主直養(なおやす)侯が城内に地を卜し、奉先堂と称する一宇を建立し、祖宗を奉祀されたのがはじまりです。明治七年、五十公野お茶屋の庭園に移築され、かつての豊田の荘の地名をとり豊田神社と称することになりました。太祖秀勝侯は蘆萩茫々(ろてきぼうぼう)の湿地帯の開墾を決意し歴代藩主もその遺志を継ぎ現在の大蒲原平野を現出させたのはあまりにも有名です。
加治川堤桜
大正4年に大正天皇即位を記念して植栽された加治川の長堤十里の桜並木が、昭和41年の連続大水害により崩壊して以来、多くの人達から桜づつみの復元の声が高まり、平成元年国に「桜づつみモデル事業」として認定を受け、名勝の復元が進められています。「加治川長堤十里の桜並木」は日本一、世界一ともいわれました。
今では、「加治川を愛する会」「加治川桜堤復元市町村連絡協議会」の主催で「加治川クリーン&ウォーク」として加治川沿いの桜を楽しんで歩きながら清掃活動を行っています。
加治川治水記念公園
六千本の桜が連なり、かつて「長堤十里世界一」といわしめた桜の名所です。
その姿は昭和41・42水害と河川改修で失われてしまいましたが、復元が進み、現在では加治川からかつての加治川沿いまで、約二千本の桜を見ることができます。満開の頃には、桜のトンネルが現れ多くの人で賑わいます。
五十公野御茶屋
初代藩主溝口秀勝(みぞくちひでかつ)が新発田入封の際、到着地であった五十公野の地に仮住居をかまえて、築城と領内経営の構想を練ったのが五十公野御茶屋の始まりと伝えられています。
その後、3代藩主宣直(のぶなお)がこの地に別邸をかまえ、4代藩主重雄(しげかつ)のときに、幕府の茶道方で遠州流の茶人縣宗知(あがたそうち)を招いて庭を造り、別邸を茶寮としました。歴代藩主は江戸への参勤交代の行き帰りにここで休息し、旅装を整えたり、ふだんは重臣にも開放し茶会を催したりしていました。
御茶屋は洗練された数寄屋造りの建物で、全般に木柄が細く簡素繊細な作りです。夏座敷2部屋は思い切って解放的に造られ、庭園を十分に鑑賞できるようにつくられています。
庭園内の樹木は諸国の名所の種苗を取り寄せて植えたものといわれ、「心」の字をかたどったといわれる池を配し、なかに美しい赤松を植えた島を浮かべ、周りに築山をめぐらした池泉廻遊式庭園です。
「同じ幕府の茶道方の縣宗知の指南の下に造られながら、それぞれ異なった趣の庭園が良好に保存されている越後を代表する大名庭園」として評価を受け、平成15年8月27日付けで「旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園及び五十公野茶屋庭園」として国指定名勝となりました。
宝光寺
宝光寺は、新発田藩溝口家の菩提寺で、曹洞宗に属する禅寺です。総門には「城東法窟(じょうとうのほうくつ)」という額が掲げられており、当山の建立された目的が示されています。宝光寺の開基は、新発田藩祖溝口秀勝公です。その後、江戸時代は歴代藩主に外護されてまいりました。
旧県知事公舎記念館
1909年(明治42年)に新潟市営所通に建てられた旧県知事公舎を1988年(昭和63年)に新発田市が移築・復元し、記念館として公開しています。築後100年を超える、現存するものの中では国内最古の知事公舎です。
建物は、公邸部分は洋風建築であるが私邸部分は和風建築となっており、館内随所に展示された県知事の遺愛品、直筆の扁額などを見ることができます。また、昭和22年(1947年)に昭和天皇が宿泊した応接間も公開されています。
※見学は土曜日・日曜日・祝日を除く2日前までに電話でご予約ください。
刀剣伝承館・天田昭次記念館
赤い煉瓦の館「刀剣伝承館・天田昭次記念館」(旧カリオン文化館)は、月岡温泉街からほど近い、広大な丘陵地にひろがる月岡カリオンパーク内にあります。人間国宝・天田昭次氏の銘刀などを展示した刀剣伝承館です。 数種類の刀剣と、その製作の工程を知ることができます。